6/28 「保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主」
『保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主』 (中村彰彦著 中公新書)を読みました。
会社の推薦図書。今年はこれを読んでみようと思って借りてみました。
保科正之って聞いたことあったけど、江戸時代初期の人だったのね。そうかー、「天地明察」に出てたから記憶にあったのか。徳川家康がまだ生きていた頃、家光の異母兄弟だったとは知らなかったー もともと会津の人だったわけではなかったんだ。でもこの人が会津藩主になったからこそ戊辰戦争が起こり、白虎隊とかが出て来る事になったんだね。とにかく徳川家に忠誠を誓っていた人で、正之が死ぬ前に藩が迷走したりしないように臣下の人に頼まれて「会津藩家訓」十五カ条を残し、それが明治新政府にやぶれ「るまで会津藩士たちの精神的規範となっていたんだって。 すごく賢くていい政治を行い、咲を見ていた人なのにその十五か条の中に「婦女子の言、一切聞くべからず」とあったのでちょっとがっかりだったの。やっぱ男尊社会、女子には何の権限も与えてくれなかったんだって。
でも正之の生い立ちや愚妻によって受けた顛末を読むと仕方ないのかなぁとも思った。もともと二代将軍秀忠がお静という女性に産ませた子なんだけど、正室がまぁ嫌な奴でさー そして2番目の妻であるおまんもまた嫌な奴で自分の産んだ娘より違う女が産んだ姫の方がいい所に嫁ぐのが嫌で毒殺しようとするの。まぁでもこれは逆に自分の娘の方が食べてしまって自分の無為目を殺してしまったのだけど・・・ でもさ、それって女性が自分の力で生きていく世界ではなかったからかもね。能力があり努力しても出世できないから息子や娘の嫁入り先なんかに託すんだろうねぇ。そのためにはなりふり構わず、みたいな。
すごく名君なのにあまり有名になっていないのは明治新政府にとって邪魔な思想(徳川家に忠誠を尽くしまくれ)の人だったからだって。
でもこの本、昔の本からの引用の現代語訳がないので私にはきつかなったー それくらい訳なんてしなくてもわかってあたりまえ、ってことなんでしょうが、古文がとても苦手なので最初読むのを止めちゃおうかと思った位でした。 適当に流し読んでしまったよ。いいのか?
内容(「BOOK」データベースより)
「徳川秀忠の子でありながら、庶子ゆえに嫉妬深い正室於江与の方を怖れて不遇を託っていた正之は、異腹の兄家光に見出されるや、その全幅の信頼を得て、徳川将軍輔弼役として幕府経営を真摯に精励、武断政治から文治主義政治への切換えの立役をつとめた。一方、自藩の支配は優れた人材を登用して領民の生活安定に意を尽くし、藩士にはのちに会津士魂と称される精神教育に力を注ぐ。明治以降、闇に隠された名君の事績を掘り起こす。」となっていました。
じゃあね
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